今日は世界宣教礼拝、私たちが世界に広がる国々に住む人々の魂の救い、世界宣教について聖書から考え、祈る礼拝です。選んだのは詩篇の中でも非常に小さな詩篇。わずか七節の豆粒詩篇です。しかし、この小さな詩篇、器は小さくとも内容は広大。詩篇の中でも珍しい、世界に目を向けた宣教の歌となっています。
先ずは足元のイスラエル、そして周辺の国々、地の果てと、福音が波紋の様に広がってゆく様子が歌われています。しかも、やがて完成する神の国、新天新地の有様まで映し出しているように見え、小さな大詩篇と呼びたくなる詩篇でした。
今日は、この詩篇を通して、ついつい目先のことに終始し、身の回りのことで手一杯になりがちな私たちの心が世界に向けられ、視野を広く大きくさせられたらと願い、読み進めてゆきたいと思います。1節から3節です。
67:1~3「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。」
先ず詩人は、「私たち」つまり、神の民イスラエルを神様があわれみ、祝福し、恵んでくださるようにと願い、歌い始めます。そして、一息つくと、いきなり「神様の救いがすべての国々の間に知られるように」と語り、世界宣教に私たちの心の目を開いてくれるのです。
今からおよそ300年前、メソジスト教会の創始者で賛美作者としても有名なジョン・ウェスレーは「世界はわが教区」との信念を掲げ、自分たちの伝道活動を一定の地域に限ることなく、地の果てにまで主の証人になることを志しました。その後メソジスト教会はその志を受け継ぎ、イギリスから北米大陸、北アフリカやアジアの福音を知らない諸地域に向かって活発な伝道を展開していきます。
しかし、ウェスレーよりもはるか昔、世界全体が神様の教区であることを詩人が知ったこと、世界宣教の実現を確信していたことに私たちは驚かされるのです。
けれども、この詩篇が書かれた時代、イスラエルと近隣の国々を、人々は互いに行きかい、国々の関係は平和で安定していたのでしょうか。
実は、そうではなかったのです。その時代、イスラエルの人々は大国エジプト、強国アッシリヤにバビロンなどに取り囲まれ、それら大国強国の侵略攻撃に戦々恐々としていました。
少し時代は遡りますが、預言者のヨナと言う人がアッシリヤの首都ニネベに伝道に行けとの命を神様から受けますが、ヨナはこれを拒否。ニネベとは正反対の方向にある今のスペイン地方にまで逃げたとあります。何故でしょうか。
ヨナにとって、アッシリヤは母国イスラエルを何度も苦しめる敵。そんな憎き敵のために神様の救いを述べ伝える等耐えがたい命令でした。敵国アッシリヤの人々を愛する神様の思いを、ヨナは到底受け入れることはできなかったのです。
しかし、この詩人は違いました。詩人が「私たちの上に」と祝福を願ったのは、自分たちが満足するためではなくて、それが隣国にあふれ出る為、隣国諸国において主なる神様がほめたたえられるためでした。ヨナの心が母国愛にとどまっていたのに対し、詩人の心には母国愛だけでなく隣国愛、人類愛があふれていたのです。
日本最初の宣教師の一人、ジェームズ・バラは乗り込んだ小さな帆船が、目指す日本を目前に暴風に襲われ、船長さえも望みを失ったその時、ただ一人「神よ、われらを助けたまえ」と祈ったそうです。
中国に向かった宣教師が難破したことを知っていたバラは、自分もまた目的の地日本を目の前にして沈没するとすれば、日本の伝道はどうなるのかと心配し、また、本国の伝道局も落胆して、海外伝道の計画を捨てるかもしれないと案じました。そして、船上で、自分一人の命のためではなく、日本伝道のため、世界伝道のため、今我を助けたまえ、と祈り続けたのです。
「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです」。まさに、詩人も宣教師のバラと同じ思いで祈り願っていました。
神様の愛を知った私たちは、もはや自分の満足、自分の安楽のためにのみ「わが命を守ってください、祝福してください」とは祈れなくなりました。自分の命が隣人の救い、隣国の救い、世界の救いのために役立つものならば、神様これを生かし、守り、祝福してくださいと祈る者に変えられたのです。
そして、詩人は宣教の波が広がりゆくなら、いずれの日かこの地上に神の国が完成することを望むに至ります。
67:4「国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。 セラ」
全ての人が神様を王とし、喜んで従う世界。神様の義と平和が完全に実現する新しい世界の到来でした。こうして、詩篇67篇は第二段階に入ります。
67:5~7「神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。」
自分さえ良ければと言う自己愛。自分の国さえ繁栄していれば良しとする愛国心。詩人のことばは、私たちの心にあるその様な狭い愛を打ち砕き、世界の救いを思い、広く人類に仕える人類愛へと広げてくれます。
この時、イスラエルの国土は収穫の時期を迎え、神様から豊作の祝福を受けていました。しかし、詩人が願うのは、自分たちに与えられた豊作と言う祝福も富も、世界の救い、地の果て果てまで神様への賛美で満ちる世界をつくるために与えられたものと見えたのです。
旧約聖書における神の民はイスラエル、新約の今は私たち教会が神の民です。いかがでしょうか。皆様は、神様に与えられた霊的祝福、物質的祝福を自分一人のところにとどめてはいないでしょうか。自分が属する教会、自分が属する国さえ良ければそれで良しと言う思いで生活してはいないでしょうか。
私たち四日市キリスト教会は、多くの宣教師の働きによって支えられてきました。およそ65年前、二人のアメリカ人宣教師が四日市に到着。ジョン・ヤング宣教師は八王子南幸園で八王子集会を、フィリップ・フォックスウェル宣教師は四日市港の近く高砂町で高砂集会を開き、やがて二集会が合同して、四日市教会となります。
最初中国で宣教するつもりも共産主義政権に拒否され、断念。それでもアジア宣教の思いやみがたく四日市に来られたヤング宣教師。戦勝国アメリカから来たが故に、「ヤンキー、ゴーホーム」の罵声を浴びながら宣教されたフォックスウェル宣教師。四日市キリスト教会の土台は、尊敬すべき宣教師の労苦により築かれたことを、私たち忘れてはならないと思います。また、ヤング宣教師の長男ブルース宣教師は北四日市キリスト教会を、次男のスチーブ宣教師は鈴鹿キリスト教会設立に力を尽くして下さいました。
忘れてならないのは、私たちの教会の伝道は英会話の信徒宣教師によって支えられてきたことです。ディック、ドロシーご夫妻に始まり、現在のW.アンドリュー、ゆりご夫妻、ナターニャ姉、ティナシェ兄に至るまで。献身的な兄弟姉妹のお働きに心から感謝したいと思います。
とはいえ、神の国の広がり、世界宣教は未だ完全ではありません。現在、世界の人口は68億人。言語の数は約6900。内聖書が翻訳されている言語は2500、今翻訳進行中のものは1990、翻訳を必要としている言語がまだ2250存在する、と言われます。神様は今も私たちが世界宣教に取り組むことを期待しておられるのです。
最後に、誰でもが世界宣教に関心を持つことができる方法をお勧めします。ひとつは、世界宣教のために祈ること。それも、漠然と世界のためにと祈るより、具体的な国や地域、宣教師のために祈ることです。この地上で直接会う機会は少ないか、全くないとしても、祈り続けた宣教師、祈り続けた国や地域の兄弟姉妹に、来るべき神の国で出会い、親しく交わることができる。これは非常に楽しみな出会いではないでしょうか。
二つ目は、祈り以外で世界宣教のために自分ができることはないか、考えてみること。献金すること、贈り物やカードを送り宣教師を励ますこと、母国に帰ってきた宣教師や日本に来てくれた宣教師に休息の場を提供すること。可能な限り彼らの証しを聞き、交わり、ともに祈ること。仲間と宣教師をサポートするチームを作る事。自分は世界宣教のために何ができるのか。皆がその様な事を考え、取り組む教会でありたいと思います。
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