2016年10月9日日曜日

ウェルカム礼拝 詩篇131篇1節、2節「母という名の贈り物」


皆様は、ご自分の母親のことを何と呼んでいるでしょうか。何と呼んできたでしょうか。お母さん、母ちゃん、あるいはママでしょうか。年齢や家庭によって様々な呼び方があると思います。

日本人の男性の場合ですが、最も多いのはお母さん、次がおふくろ、その後に母ちゃん、おかんが続きます。関西ではおかんが圧倒的で、庶民的な母ちゃんを使う人も多いようです。ママは子どもの頃にはよく使っていたが、20歳を過ぎると照れくさいと感じる人が多いのか、順位は下になります。最近の傾向として、母親の名前に「ちゃん」や「さん」をつけて呼ぶ人、何も言わずに「ねぇ」とか「おい」で済ます人も増えているそうです。前者はともかく、後者はちょっと寂しい気がしますね。

日本はよく母性社会とか、母系制社会と言われます。これには良い面と、考えなければならない面の両方があるとも思われますが、流行歌の世界、文学の世界を見ると、父よりも母のことを歌った歌、母と子の関係を描いた文学が圧倒的に多いことが分かります。

母の日に歌いたい歌ベスト20と言うものがあります。母ということばが直接登場する歌だけでも「母賛歌」、「ママへ」、「東京だよおっかさん」、「マザー」、「母からの手紙」、「おふくろさん」。それに「アンマー」と言う曲もありました。アンマーは沖縄でお母さんのことを指すことばだそうです。

日本は母性社会と先ほど言いましたが、社会制度の方はまだまだ男性中心とも言われ、その問題も指摘されています。しかし、簡単に断定できませんが、私たち日本人の心に対する影響と言う点から見ると、父よりも母、お父さんよりもお母さんの影響の方が大きいのかもしれないと言う気がしました。

それでは聖書は母についてどう描き、どう教えているでしょうか。聖書には様々なタイプの母が登場します。母親とはこうあるべきという、まとまった形での教えも見当たりません。ですから、今日私がお話するのは、聖書を読んで私個人が心に残った母の姿、母親像であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

さて、最初にお話したいのは、母とは子どもに安心感を与える存在だと言うことです。

 

 詩篇131:2「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように、御前におります。」

 

 このことばを書いた人は、様々な悩み、苦しみの中にあったようです。しかし、神様の存在を身近に感じた時、心落ち着き、安心を覚えたと語っています。それを、乳離れした子、泣きじゃくっていたかもしれない3歳ぐらいの幼子が、お母さんに抱っこでもしてもらったのか、それだけで気持ちが落ち着き、心安らぐ姿に重ねています。

 ここで、教えられているのは、子どもに深い安心感を与える母性愛です。母親の子育ては生まれる前から始まっています。父親も生まれてくる子を心待ちにしますが、栄養も睡眠も呼吸も共有しながら子どもの命を育む。そんな母子の一体感は、父親には到底及ばないものがあると思います。

 仏教には、どんな邪悪な女性でも、地獄の鬼にへその緒を見せれば良いことをしたと認められ、許してもらえると言うお話が残っています。それほど出産は尊い仕事、母性愛が子どもに与える影響は大きいと言えるでしょうか。

 母性愛の特徴は、包み込むような温かい愛、抱きしめる愛とも言われます。3歳ともなれば、子どもは悪戯もするし、悪さもします。叱らなければならない場面も増えてきます。しかし、悪いことは叱るとしても、子どもを抱きしめながら叱るなら、「お母さんはあなたのしたことは嫌いだけれど、あなたのことは大好きだよ」という愛情が伝わるのではないでしょうか。

 母親は、子どもにとって自分が自分でいられる場所、世界で一番安心できる安全基地です。失敗をしても、悪いことをしても、そこで本来の自分を取り戻し、また外に出てゆくことのできる安全基地のような存在ではないかと思います。

これは何も小さな子どもの時代に限ったことではありません。私はある姉妹から三浦綾子さんの書いた「母」と言う小説を勧められました。「母」はプロレタリア運動に取り組んだため、戦時中特高警察に逮捕され、拷問の末殺されたと言われる作家小林多喜二とその母の関係を描いたものです。

それを読みますと、多喜二と母がいかに愛し合っていたか。生活は貧しくとも明るく楽しい家庭であったかが伝わってきます。とりわけ印象的なのは、多喜二が非道ともいえる厳しい尋問に耐え、仲間の名前を漏らさない為に戦う姿と、彼の戦いが母の愛に支えられていたことです。

多喜二亡き後、母はわが子の運命を呪い、神を呪います。しかし、最後は多喜二が親しんでいたキリスト教信仰に入り、洗礼を受けました。多喜二の戦いを母の愛が支え、我が子を失った母の悲しみを神様が救ったと言うことになるでしょうか。

また、私の高校時代の友人は、当時流行ったロックバンドのメンバーでした。ギターを弾く友人はバンドのリーダーでしたが、母一人子ども四人の母子家庭、お母さんが市場で働いて稼ぐお金だけが頼りの、貧しい生活でしたから、自分のギターを買うことができない。やむに已まれず、学校が禁じるアルバイトとお昼代節約を行って、ギターのお金を貯めようと頑張っていました。

そんな生活が半年ほど続いたある日、彼の部屋に古ぼけた新聞紙に包んだ中古のエレキギターが置いてありました。それが苦しい生活の中から買ってくれた母親の贈り物であることを、友人はすぐに気がついたそうです。それからと言うもの、塗りのはがれた古ぼけたギターを手に、友人は颯爽とステージに立つ様になりました。

ある年の同窓会、今は音楽関係の雑誌で働く友人は、「もう忙しくてバンドをやる時間はない」と言いながら、「あのギターを取り出して時々おふくろに相談することがあるんだ」と言っていました。ギターを手にしながら「お袋から、励まされたり、しっかりしろと叱られたり」すると言うのです。

たとえ、母親がいなくても、温かな母性で育ったと言う記憶があれば、その記憶を通して、私たちは母性を感じることができる。そこで、人生における戦いの羽を休め、本来の自分を取り戻すことができる。このことを、私は友人から教えられた気がします。

父性の特徴のひとつは、子どもを戦いに向けて励まし、成果を求め、それを評価することと言われます。この様な父性も必要です。しかし、この様な父性だけでは私たちは息が詰まってしまう。だからこそ、神様は私たちがあるがまま受け入れられ、許され、安心できる母、母性と言う贈り物を与えて下さったのではないかと思われます。

次は、母とは子どもに大切なことを教える存在だということです。

 

箴言1:8「わが子よ。…あなたの母の教えを捨ててはならない。」

 

 皆様は、子どもにこれを大切なこととして教えている事柄があるでしょうか。子どもとして母親から、これを教えられたと思うことはあるでしょうか。

 イスラエルの国を混迷から救う預言者サムエルを育てた母アンナ。初代教会の牧師の一人テモテに信仰を教えた母ユニケ。かと思えば、息子アハブ王の助言者として立ちながら、息子に悪の道を教え、国を滅ぼした母アタルヤ。良きにつけ、悪しきにつけ、母の教えから影響を受けた人々が聖書にも登場してきます。

 カトリック作家の遠藤周作さんも、母親から信仰を教えられた人です。しかし、最初はそれが嫌だった様で、信仰を自分のものとできるようになったのは大人になってからでした。

「四十歳の男」と言う作品の中で、自分と母の信仰のことを、この様に語っています。

「私は子どもの時、自分の意思ではなく母の意志で洗礼を受け、毎週教会に連れてゆかれた。だから長い間、形式と習慣で教会に通ったまでです。しかし、あの日、私は母が着せた信仰と言う服を捨てられないことをはっきりと知ったのです。長い歳月の間にその服が自分の一部となり、それを捨ててしまえば、他に体も心もまるまる何ももっていないことが分かりました」。

母が着せただぶだぶの洋服を、自分の背丈にあった服に整える。母から受け継いだ信仰を捨ててしまわず、大人になってから、自分なりのものにして生かしてゆく。これも母の教えの生かし方ではないかと思います。

 私も今年83歳になる母から何を教えられてきたか振り返ってみました。私の母はどちらかと言うと教育熱心だった気がします。しかし、その教え方は細かいことを、くどくどと繰り返すお説教型。悪気はないのですが押しつけがましい。その上、感情の波が激しく、突然の嵐の様にお説教が始まるので、本当に厄介でした。特に、思春期の私は反発反抗を繰り返していましたから、ことばとして母の教えを覚えていることは殆どない気がします。

 しかし、今でも心に残り、まだまだ母には敵わないなあと思うことが一つあります。それは「悪いことをしたと思ったら、相手にきちんと謝る」ということです。母はそれを常々口にし、口にするだけでなく実行してきました。小さな子どもの私にも、思春期の生意気な私にも、大人になった私にも、母は悪いことをしたら謝るのです。

 「悪いことをしたと思ったら謝る」と言うことは、親なら誰でもが教えることかもしれません。しかし、配偶者や子どもに対してそれを本気で実行する人は案外少ないのではないかと思います。私も子どもたちにそれを教えましたが、ある日小学生の長女に言われました。「パパは、自分が間違ったら謝れと言うけれど、ママにも子どもにも本当にそうしているの」と。その時、私の心に蘇ってきたのは、母のことばと行動です。母の教えを捨ててはいけない。大切にしなければと思わされた瞬間でした。

 子どもは、親の背中を見て育つと言われます。母としてどう語り、どう行動しているか。子どもとして母のことばや行動から何を教えられてきたか、一人一人振りかえってみたいと思います。

最後に考えたいのは、子どもとしての母に対する態度です。

出エジプト20:2「あなたの父と母を敬え。…」

 

聖書にはここだけでなく、同じ意味の教えが繰り返し登場します。特に「年老いた母をさげすんではならない」として、敬老の心も教えられています。しかし、今回準備しながら、私には子育てのストレスに悩むお母さん、自分に母親の資格があるのかと苦しむ方、自分の母を愛することができず、その様な自分を恥じたりする人々のことが思い浮かんできました。

「母」で、小林多喜二と母の愛を描いた三浦綾子さんも、「裁きの家」と言う作品では、職場の上司と不倫関係にある母を赦せない女性を登場させ、この様に語らせています。

「先生、先生のお母様が、もし私の母の様でしたら、尊敬できますか。私は憎みます。母が私の母であることを深く恥じます。私が洗礼を前にして悩んだのは実にこのことでした。でも、今では、私が自分の母をさえ愛せない、罪深い者だからこそ、私は救われねばならないと思う様になりました。私の母がもし貞潔で、知性があって、人々に敬愛されるような母なら、尊敬するのは当り前ですわね。聖書には「立派な父と母なら尊敬せよ」とは書いてありません。そこには何の修飾語もなく「あなたの父と母を敬え」とあるだけです。私は神様の目からではなく、倫理的に母を見ようとしていたのかもしれません。そこに自分の罪があると思います。私には本当に神の愛と言う助けが必要です。」

聖書は、完全な母性愛を持った母も、自分の母を完全に愛することのできる子どももいないことを教えています。

しかし、そんな不完全な存在であっても、母と言う贈り物を通して、神様は私たちに様々な恵みを与えて下さること、不完全な子である者も、神様の愛を受け取ることで母を敬うことができるようになれると教えているのです。

 

中学校で体育の時間に跳び箱を教えていて、首から下が動かないと言う障害をおった星野富弘さんは、リハビリの先生の指導を受けながら「星野君は、肩もみが上手いね。お母さんにもしてあげることがあるの」と聞かれ、母の肩をもんだことも、叩いたこともなかったことを思い出したそうです。

そして、入院中自分のベッドの横の固い床に寝泊まりしながら肩こりに苦しむ母の姿を目の当たりにしながら、もしこの腕が動くようになったら、母のためにしてあげたいことを考えながら書いたのがぺんぺん草の詩でした。「神様がこの腕をたった一度だけ動かしてくださるとしたら、母の肩を叩かせてもらおう。風邪揺れるぺんぺん草の実をみていたら、そんな日が本当にくるような気がした。」

今日は「母と言う名の贈り物」と言うテーマで、お話をさせて頂きました。ぜひ、私たち一人一人、神様からの母と言う贈り物を通して、どの様な恵みを受けてきたのか。母の教えや生き方が自分の人生にどう影響しているのか。また、星野さんの肩もみではないですが、自分が母を愛し、敬うために何ができるのかを考えてみたいと思います。皆様の母としての歩み、子どもとして母を敬う歩みが、神様に祝福されることを願いつつ、今日のお話を終わらせていただきます。
 

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